年明けまで後28日のコラム/大学と金

課題が

終わってないです。モンハンクロスをついうっかり買ってしまったおかげで、明日の英語のプレゼンを思い出したときには夜23時でした。諦めてこの記事を書こうかなと。この記事書く時間で英文打ったらどうですかって、そんな簡単にできるわけないでしょ!年明けまで1日一コラム絶対書くって言ったもんね!

 

 

大学と金

今回もちょっと思っていたことをサラッと書こうかなと。大学の運営交付金がどんどん削減されている、日本は貸与奨学金ばかり、国立大の学費は上がる、文系廃止論とかとか、昨今大学教育関係の問題についてどうこう言ったものを良く見る。周りが大学生ばかりで、その上身近なことだからセンシティブなんでしょう。そしてそれらの本質は同じようなことで、「大学に金が回ってこない問題」とでも言うとちょうど良いのでしょうか。そしてその多くの意見に共通するのは、大学に経費削減を迫るのはけしからん!ということ。

でもさ、国立大学に入るお金の大部分を占める運営交付金って、社会インフラド真ん中の社会福祉費や地方交付金(こっちはなにやってるか見えずらいけど)を押しのけて国民全員から捻出されたお金なんですよね。やっぱりそこまでして獲得した金なら、それを使う大学も業務の刷新とか説明責任を果たすとか金銭的に身を切るとかとか、考えてもいいんじゃないんですかねと。

それはともかくとしても、この問題の核心はつまるところ「国が大学に投資しない」ことではなくて、そもそも「国の財源がない」ということなはずだ。東大卒エリート集団の文科省が大学の重要性をわかっていないわけはなくて、金を出したくても出せない、しかもその金は国民全体の金だから容易に出せない。けしからん一辺倒では解決しない、こういう事情があるだろう。いやなんか当たり前のことを言ってるようだけど、再確認してほしい。

もちろん大学側からどこどこに金が少ない!って声を上げることは何が重要で何が重要でないかを透明にするためにも必要な立場で、大学教職員学生はそうあるべきなのだけれど。ただ、少なくとも今後大学を卒業して税金を払ったり国債を払う立場に変わる学生ならば、教員に同調するだけじゃなくて問題の本質を認識しているバランス感覚はあってもいいんじゃないんですかね。

 

 

ちょっとグダった。偉そうに言ってるけど課題やってないクソ学生なんだよなあ。おしまい。