年明けまで後29日のコラム/FateGO引退と雑感

日記を書く

アドベントカレンダーって流行ってるじゃないですか。あれに習って年末まで何かしら毎日書こうかなと。最近何か成果が見えるものをやっていないのと、脳みそが腐って日本語を読むのに苦労するのでそのトレーニングのためというものもあって。1日一コラムを目標に。

 

 

Fate/Grand Order

種火増やしてBANされました。詳しい内容はググってください。もうアプリはアンインストールして、実質完全にアカウントを消した状態です。

スマホのいわゆるソーシャルゲームってテレビのCMでよくやってるじゃないですか。僕はあまりそういうの興味が湧かなくて、子供が親のクレジットを勝手に使って重課金とかいうニュースを見てもふ〜んって感じでした。そんな僕だったんですけど、周りでFate/GOが流行りだして、Fate好きだしちょっと初めてみるかってことでついにソシャゲに足を踏み入れたんですよね。

実際面白い。っていうか比較的作業ゲー要素が強いゲームだったのが、暇があればTwitterする人間には合っていたのかも。時に課金しようか真剣に悩みつつも無課金でプレイしつづけて、結局BANされて半ば強制的に引退という形になった。

 

ソーシャルゲームと人 

anond.hatelabo.jp

増田で最近話題のエントリ。もしFateGOをやっていなかったら、これも先ほどのニュースのようにふ〜んで終わっていたと思う。一般的なイメージだと課金ユーザー=廃ユーザーだけれど、実態として無課金ユーザーもソシャゲの虜になっているという話。

 

ゲームはその中で価値を作り出す。武器にレアリティをつけるとか。ユーザーが一度ゲームをプレイしてしまえば、あとは運営が「何が価値があって、何に価値がないか」を恣意的に隅から隅まで決め、ユーザーにそれを刷り込むことができる。ソーシャルゲームはそこにつけこんで、課金システムを構築した。その無課金ユーザーは見事に価値を植え付けられた人であったと思う。課金ユーザーであったらなおさらだけど。

 

そんで、ここではソシャゲがクソとかスゲーとかいいたいわけじゃないんですよ。振り返ってみれば、モンドセレクション受賞とかオーガニック野菜とかちょっぴり胡散臭いものにもなんとなくプライオリティを感じてしまう我々。その中でどこまでが価値があって、どこまでが価値がないのか、何事も自分の基準できちんと考える力を持つことが重要なんじゃないかな。いや別に課金自体を否定してるわけじゃなくて、盲目的に価値を信じて自分の支払い能力以上の課金をしたりしないためにも、「自分にとって何が価値があるのか」という観点で考え直すことができるのは大事じゃないかっていう。そういう能力がこれからの消費者に必要なのかも。まあ、なんだか何番煎じかわからないぐらいの意見になってるけど。

 

 

 

 

ちなみに、ソーシャルゲームは天才的なビジネスモデルだと思う。食肉業界であったら、子牛を育てて、肉に捌いて、製品として形に詰め込んで、流通させて、家庭に届くまでのプロセスの中で、多くの企業が関わり、その一つ一つのステップで儲けを出していく。一方、ソーシャルゲームはただ開発して、運営するだけの一つの企業内で全てが収まるワンステップ。在庫もない、かかるのは人件費とオフィス代とサーバー代とか

まとめると、儲けは独り占め、参入障壁も低く、コストもかからない、売っているのはただの数値の増減。運営が作り出したただのデータである聖晶石。そのビット数を増加させるためにかけたお金はまるまる運営の懐に入るってよくよく考えてヤバない?これがソシャゲをやってみて感じた一番の理不尽。いやある意味当たり前のことなんだけどさ。ソシャゲ怖!

 

 

 

 

 

 

 

 

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タマモキャット、フォーエバー。